「ワールドカップ」 こぼれ話(その4・最終回)サッカーも観光も!!

                                                                                                       眞砂 睦

 いよいよサッカーの頂点を決める戦いの組合せが決まりました。日本は決勝トーナメント進出をかけて、コロンビア・ギリシャ・コートジュボアールと2つの枠を争います。いずれも日本より格上の猛者ばかり。サムライ日本、健闘を!!

 ところで日本の試合会場が、レシーフェ・ナタール、それにクイアバの3都市となりました。応援に乗り込む日本人サポーターにとって、なかなか魅力的な都市が選ばれました。

 第1戦のレシーフェと第2戦のナタールはいずれも東北部(ノルデステ)にあります。
このブラジル東北部というのは、16世紀中頃からポルトガルがサトウキビ栽培のために最初に開拓した地域です。東北部の長大な海岸沿いに広がる「マサッペ」と呼ばれる肥沃な土壌を利用して、大規模な砂糖キビ栽培事業が興されました。その労働力として、ポルトガル商人によってアフリカから多くの黒人奴隷が導入されました。その後、18世紀のゴールドラッシュの時代を経て、1850年に奴隷貿易が禁止されるまでの間、300万人を超す奴隷が輸入されたと言われます。
 一方、16世紀当時の本国ポルトガルの人口はたかだか100万人程度。本国からやって来る女性が少ないこともあって、ここ「ノルデステ」でポルトガル男と黒人女との混血がどんどん増えていきました。
こうして歴史の初段階から混血が始まったブラジルは、今では多かれ少なかれアフリカ人の血が流れている人の数は、全人口の40%近くになっていると推定されています。それでも、19世紀に始まったコーヒー産業の勃興で、多くのヨーロッパ移民がやって来たため、現在では白人が人口の50%ほどを占めているのですが、40%もの分厚い混血層の存在が、人種間の対立を妨げるクッションとなっています。混血をいとわない肌の色に無頓着なポルトガル人を、英国人は「ポルトガル人は色盲だ」とからかいますが、その色盲のおかげでブラジルではこれまで、ほかでもない英国の嫡子・米国が苦しんだような、激しい人種対立がおこったことがないのです。


 人種が混じれば文化も混じります。ポルトガルとアフリカが融合した独自の文化が、ここノルデステが起点となって形成されていきました。
食べ物・衣類に音楽やダンス、宗教儀式などにアフリカの影響が特に色濃く残っています。それに、なんといっても明るくて、こだわりがなく友好的でくだけたひとあしらい、といったブラジル人の性格は、アフリカ人との融合なしでは形成されなかったことでしょう。こうしてブラジルの人種と文化の形成の出発点となったノルデステは、もう20年ほども前から欧米諸国からやって来る観光客のメッカとなっています。アフリカと西洋が融合した「アフロ・ブラジル文化」に対する興味からでしょうが、もうひとつはノルデステの海岸がすばらしいからです。延々数千キロにも及ぶここの海岸を訪れる欧米人は、「地中海のリゾートがかわいそう!!」と叫ぶほどの衝撃を受けるようです。
日本のサポーターの皆さんも、ブラジル文化の原型が色濃く残る「ノルデステ」の、目の肥えた西欧人が仰天するような野性味あふれるリゾートで、ゆっくりとブラジルを味わってはいかがでしょう。

 

 さて、次の第3戦の舞台はクイアバ。こちらは内陸を西に深く入り込んだ、ボリビアに近い都市です。ここの魅力はなんといっても、世界最大の湿地帯「パンタナル」。アンデス山脈から流れ出る豊富な水が、日本とほぼ同じ面積の広大な湿地帯を作っています。その湿地帯がそっくり「環境保護地域」となっていて、国際的に「エコツアーの聖地」として知られています。クイアバはその「聖地」の北の入り口になります。
アフリカの野生動物保護区とならんで、パンタナルは地球上に残された数少ない野生動物の世界です。夏場(11月~4月)の雨期には湿原全体が水につかりますが、乾期に入る5月~10月になると水が引いて、あちこちに陸地が顔を出します。
この乾期をねらって、世界中からエコツアーを楽しむ人々が殺到します。湿原のあちこちに点在するロッジに陣取って、ボートやジープで野生の自然を楽しむのです。
川岸で日光浴をしているワニを横目に見て、肉片を餌にピラニアを釣るのは刺激的ですし、漁師が釣ったフナに似た1メートル近いパクーという魚の炭焼きは絶品です。運がよければ、子牛を飲み込むといわれる巨大な蛇・アナコンダが水草の間にひそんでいる姿にも出会えます。愛らしいカピバラの家族にはいたる所でお目にかかれます。
しかしなんといっても圧巻は、圧倒的な数と種類の鳥たちです。乾期で水が引いた川や水たまりには、逃げ場をなくしたおびただしい数の魚が集まります。それを狙っておびただしい数の鳥が群がります。ありあまる餌に恵まれるこの時が繁殖期で、鳥たちは川沿いの木という木に鈴なりになって、大木全体が鳥たちのコロニーになるのです。圧巻という他ありません。写真が趣味の方は、釘付けになってシャッターを切り続けることうけ合いです。
運が良いことに、クイアバでの日本の試合は6月。エコツアーのハイシーズンです。日本の応援で声をからした後は、「エコの聖地」でゆっくりと大自然を楽しまれてはいかがでしょう。

ブラジルはサッカーも観光も、見どころがいっぱいです。      (了)
                                    


 

 

ブラジル県人会の60周年

                                                              眞砂 睦
 
 今年4月27日、サンパウロで「ブラジル和歌山県人会連合会創立60周年」の記念式典が催される。県人会は戦前に移住した故・竹中儀助氏(白浜町富田出身)を初代会長として1954年に設立され、以来、県出身移住者の受け皿として新移民の面倒をみてきた。
戦後のブラジル移住が始まったのは1953年。大戦で途絶えていた日本人移住再開の道をつけたのが故・松原安太郎氏(みなべ町岩代出身)。氏は戦前の移住者で大農場主。その尽力で53年「松原移民」として戦後初めて69家族の日本人が南マットグロッソ州ドラードス市近郊の「松原植民地」に入植。うち和歌山県人が56家族を占めた。
かつての入植地周辺には、今でも多くの県出身移住者とその子弟が住んでいる。
 60周年記念式典に出席するために仁坂知事が訪伯されるが、今回初めて戦後移住の原点・松原移民ゆかりの地も訪問される。ドラードス市長との面談も予定されている。現地の方々は移住地と母国の自治体同士の交流を長年待ち望んでおられたが、その実現にやっと第一歩を踏み出す。
 ブラジルと日本は遠い。けれども絆は太い。ブラジルはこれまで、日本をパートナーとして農業・製鉄・造船・通信といった基幹産業をおこしてきた。交渉がもつれると、最後は「日本人は信用できる」という歴代大統領のひと言が決めてとなって、日本が協力者となってきた。
今では両国が手を組んで、アフリカなど第三国の開発支援に乗り出すまでになった。それほど相互の関係が深化している。
そうした信頼関係の礎となっているのが日本人移住者とその子弟たち。正直で約束を守る。勤勉で教育熱心。そうした日本人の生き方が、ブラジル人の心をとらえている。
彼らは日本人移住者や日系人を通して日本という国を見ているのだ。
だが、戦後移住も60年を経て、日系人も代替わりが進んでいる。これからも両国の深い信頼関係を継続できるかどうかは、今後の問題だ。
高学歴の人が多い日系人の3世や4世はブラジル社会の中枢で活躍している。その彼らはご先祖の母国、日本には特別の関心を持っている。世代は経ても、日系人が日伯の友人関係の土台になることは変わるまい。
60年目となる式典は、ひとつの時代の終わりであると同時に、次の新しい時代の始まりを告げる。かつて移住者を送りだした私たちは、今度はその子弟たちと新たな「アミーゴ」の関係を築きたい。それが世界5位の大国との絆の核となるからだ。 (了) (2014/1/22 掲載)    
                                   
                                    


 

 
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