熱帯雨林に挑む日本人移民

 

                                                                  筆者: 眞砂 睦

 

 アマゾンの熱帯雨林は地球上の酸素の3分の1を供給する「地球の肺」と言われる。そのアマゾンに最初の日本人開拓移民が入ったのは1929年。アマゾン河下流の大都市ベレンから南に230キロの密林、トメアスー入植地である。日本民族がかつて経験したことがない熱帯雨林真っただ中での開拓生活。生きるための食糧の確保やマラリアとの闘い。先駆者たちがどんな苦労を重ねたのか、今ではその足跡をたどるすべもない。
 奥深い密林の開拓地が世間に顔を出したのは、30年代後半。渡航途中のシンガポールで、日本人移民がかすめ取って持ち込んだ胡椒の苗2本が入植地で根付いたことが始まりである。
血眼で換金作物を探していた移民たちはこぞって胡椒栽培に乗り出し、大戦後の50年代にブームがやってきた。トメアスー産胡椒が欧米のスパイス市場を席巻、胡椒は「黒いダイヤ」と呼ばれ、入植地に「胡椒御殿」が建ち並んだ。
 しかし、繁栄は長くは続かない。70年代に危機がやってきた。根腐れ病が広がり、胡椒の大半が立ち枯れてしまったのだ。移民たちはどん底に突き落とされた。
当時、トメアスー農協の技術担当理事をしていた故・坂口のぼる氏が、病原菌蔓延の原因が胡椒の単一栽培にあることをつきとめる。「地域固有の樹木と混栽すれば病原菌のリスクを避けられる」。
坂口氏は組合員を説いてまわった。胡椒とカカオの組み合わせから新しい試みが始められた。半日蔭を好むカカオは胡椒の木の陰でよく育つ。研究熱心な日本人である。次第に混栽する樹種を増やしてゆき、やがて胡椒を主幹作物とし、カカオ・アサイ椰子・アセロラ・パッションフルーツ・ゴムの木、それに大木となるマホガニーなどの混栽方法を会得した。
このような自然に近い環境を作り出すことで病原菌の広がりを避けられ、収穫期が異なる作物を混栽するので、農家は毎年安定した収入が確保できる。こうして世界が注目する「アグロフォレストリー(森林農業)」が誕生した。
そのうえ、従来の焼畑農業などで荒廃した土地でも、こうした混栽農場ができると順次木々が成長して、10年もすれば立派な熱帯雨林がよみがえる。日本人移住者が編み出した「森林農業」は、農業を通じて森林を再生させる、「森をつくる農業」になった。 
 すでに入植地近郊の7千ヘクタール(東京ドーム1500個ほどの面積)の荒廃地が森林によみがえったといわれる。森林農業自体が「地球の肺」の破壊を食い止めているのだ。
 2011年、ブラジル政府はトメアスーの農業モデルを「社会技術」と認定、時のルーラ大統領は、議会で「日本人だからこそできた」と入植者たちをたたえた。日本人たちがアマゾンの密林に分け入ってから、80年がたっている。
(了)(2012.9.7)

 

アミーゴ(友人)の輪を広げるために

  

           

                                   眞砂 睦

 

戦後ブラジルに移住した日本人は6万人と言われています。出稼ぎが目的であった戦前の移住とは違って、戦後海を渡った人々は、狭い日本にあき足らず、新天地で大きな夢をかなえたいという志をもった方々が中心でした。いわば戦後の日本が復興の過程で避けて通れなかった国際化という波を、いち早く個々の人生をかけて乗り切っていかれた先人たちと言えます。
 そして今、その戦後移住者も代替わりの時期を迎えています。一家の働き手として若くして渡った方々も、多くはもう現役を退きました。子供たちは尊敬されるブラジル人として巣立っていきました。移民第一世代として立派に責務を果たし、移民人生は成功でした。ところがブラジル人として育った子供たちを誇らしく思う一方で、「自分たちが世を去ると日本がブラジルから消えてしまうのではないか。なにか自分たちの足跡を残せないか」。そうした思いが日系社会共通の思いとなっていきました。
 「日本がブラジルに埋没してしまわないために残すべきものはなにか」。二世も加わった日系社会の有識者が検討を重ねた結果、「水準の高い日本語と日本文化の教育の拠点を設け、ブラジルにおける日本語・日本文化発信の核としよう」という考えに収斂されていきました。教育こそが自分たちが残すべきものだという結論になったのです。
 時あたかも2008年に日本人ブラジル移住100周年がやってくるというので、その目玉事業として、日本語教育の拠点となる「日伯学園」を作ろうと日系社会が動き出します。本格的な学校(中・高一貫校)の建設となると相当な資金が必要です。教育者の確保も不可欠です。当然、日本側の協力と支援がかかせません。そこで、JICA(国際協力機構)や日本政府関係者に協力を依頼したのですが、ODAを削減するという日本政府の方針のなかで、残念ながら日本政府からの支援が期待できなくなりました。こうして移住100周年という絶好の節目であったにもかかわらず、「日伯学園」事業は頓挫を余儀なくされたのです。
 しかし、「150万人もの日系人がいるブラジルに、本格的な日本語・日本文化の教育拠点がないのは、あまりにもお粗末だ」という日系社会のリーダーたちの熱い思いは消えませんでした。一足飛びに「日伯学園」を建設するのが無理なら、次善の策として、現に存在する日系のコレジオ(中・高一貫校)を活用しようという動きがでてきました。
ブラジルには日本語を「正課」に取り入れている日系のコレジオが6校あります。この6校の日本語教育を強化して、ブラジル社会に日本語と日本文化を広げていこうということになったのです。そして一昨年、6校が中核となって「日伯教育機構」というNPOが組織されました。勿論、日系社会の志のある有識者もボランテイアとして活動に参加されています。
ブラジル側の動きに応えて、「(財)日本ブラジル中央協会」が日本側窓口として協力することになりました。この日伯のふたつの組織が連携して、日系社会長年の懸案であった日本語教育の拠点作りが開始されました。こうした教育活動には終わりはありません。今後、日本語や日本文化の専門家の派遣、研修生や留学生の相互受入など、さまざまな事業が企画されるでしょう。それには日本側の教育機関などの協力が欠かせません。多くの戦後ブラジル移民を輩出している和歌山県としても、県下の国際交流組織や大学などが組んで、できる限りのお手伝いをしたいものです。

 ところで、海外に自国の言語や文化の教育・発信拠点を作るというのは、本来国の重要な仕事です。自国の言葉や文化を広げるということは、自国への理解を深めてもらい、親しみを感じてくれる友人を増やすことに繋がりますので、長い目で見て大きな外交上の力となるからです。そのため各国は国の戦略として、国の主導で自国の言語・文化を教える拠点を構えているのです。国をひっぱる人たちが、「文化は武器になる」「自国語の普及は確実に見返りがある」という認識を持っているからですね。
ブラジルを例にとりますと、ドイツ・イタリア・スペインそれに韓国などが、立派な民族系のコレジオ(中高一貫校)を作っています。文化の根っこは「国語」です。それゆえ各校はそれぞれ高度な自国語の教育を取り入れて、徹底的に鍛えます。これらの高校の卒業証書は、本国の高校のものと同等と認められており、希望すれば簡単に本国の大学に進学できます。そういう特典があるため受験生に大変人気が高く、それぞれ有数の進学校となっているのです。韓国にいたっては、戦後初めて移民を送り出し、韓国系住民は6万人ほどにすぎないのですが、政府の主導で財界の協力も得て、いち早く立派な「韓伯学院」を作っています。今まさに、韓国語が堪能な「知韓・親韓ブラジル人」が大勢誕生しているのです。彼らは韓国にとって大変な「外交資産」となるわけです。
ひるがえって日本。100年の間に25万人の移民を出し、150万もの日系人が居るというのに、いまだに日本は核となる日本語の教育機関をもっていないのです。どうしてこのようなていたらくになってしまうのでしょうか。
世界の国々は国益を守るために、あるいは国益を拡大するために、国がもっている硬軟あらゆる手段を使って、丁々発止とやりあっています。勿論、核兵器や軍艦が外交の強力な後ろ盾であることは申すまでもありませんが、文化もあなどれない武器なのです。自前の核をもてない日本としては、「科学技術と文化の力」が決定的に重要な国家存立の礎です。日本こそが「科学技術」や「文化」というソフトパワーを磨き、それらを活用して国益を確固たるものにしなければならない筈です。文化の土台は国語です。海外で日本語を普及することは、直ちに日本の外交力を強化することに繋がるのです。ところが残念なことに、日本の国政をあずかる方々には、「文化は外交の強力な武器となる」という認識がすっぽりと欠落してしまっているようなのです。
国際的に著名な政治学者、サミュエル・ハンチントンは、「日本は隣の中国や韓国とは異なる独自の文明を形成している。日本は日本と文化的共感を持つ家族をもたない孤立した文明なので、日本が危機に陥ったとき、他の国が結集して支援してくれることを当てにできない」と述べています。一方時代は遡りますが、京都大学教授であった、故・梅棹忠夫は、ハンチントンの指摘に応えるように、「あまりにも国際的に閉鎖した日本は、世界に絶えず文化的連帯の網を広げていかなければならない」と言い残しています。
国は孤立すると危ない。日露戦争以来頼りになる同盟国であった英国との絆を断ち切ったために、世界の潮流が読めなくなった日本は方向感覚を失って、やみくもに先の大戦に突っ込んでいって自滅しました。耳の痛い忠告もいとわなかった友邦がいなくなったからです。外交で失敗すると国は簡単に滅びます。「文化的共感を持つ家族」がいない日本は、もっと多くの心がかよいあう友人を作っていかなければならないのです。
海外に日本語の教育拠点をつくる目的は、日本を理解し、日本文化に共感してもらえる友人を絶えず作っていくことにあります。「文化的連帯の網」を広くしていく。それこそが文明的に孤立している日本が安心して生きていくための道なのです。

(了) (2012.9.1)

 

                                   

 
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