新春に思う未来への布石

                                                                                                                                                   眞砂 睦

 
 ブラジル政府が理工系学生の海外留学を増やすための大掛かりな支援策を推進している。「国境なき科学計画」と銘うって、2011年から5年間に国の経費で新たに10万人の理工系の学生を海外留学に出す野心的な政策だ。いまや世界6位の堂々たる経済大国となったブラジルだが、その経済の発展に見合った技術者や理系研究者の育成が追いつかないという危機意識からである。

 

 
医学・薬学・工学・物理化学・エネルギー・情報・航空宇宙・生命科学などの大学・大学院生、研究者など合わせて年間2万人の留学生を5年間海外に送り続けるというのだから半端ではない。留学期間は1年から4年と多様だ。学費と生活費は政府の奨学金を充てるが、総予算の25%は民間からの支援を予定している。米国は早々に年間1万人の受け入れを表明、西欧諸国やインド・中国・韓国なども既に受け入れ始めている。
 
 日本も動きだした。昨年7月、独立行政法人日本学生支援機構がブラジル政府との間で留学生受け入れの「覚書」を取り交わし、文科省の協力を得て全国の大学に協力を依頼。東京大学など国立大学8校、早稲田大学など私立大学2校が昨年、ブラジルの大学を訪れて募集を開始した。日本として年間1300人程度の受け入れを目指したいとしている。
 
 ブラジルは移民をはじめ、これまで海外から多くの多様な人材を吸収してきた。その結果、異質な人々に寛大で、柔軟な社会規範をもつ活気に満ちた国家が形成された。こうした外に開かれた社会環境が、さらにまた海外の多様な能力をもつ人材をひきつけるという循環が、この国の発展を支えてきた。
 
 そのブラジルがより高い水準で国を支えられる人材を育成するために、今度は10万人もの理系の留学生を海外に送り出すというのだ。科学技術こそが国の将来を決める、そういう理念から生まれた戦略的投資である。
 日本では若者の理系離れが深刻化している。理系では特に海外留学生の減少が目立つようだ。その原因はどこにあるのか。朝野をあげて真剣に検証すべき課題であろう。
 
 数を頼みの力相撲が望めなくなった日本では、科学振興の成否が生死を分ける。海外留学に限らずとも、基礎研究や技術の開発を支える人材の育成こそが、日本が世界に渡り合って生きていくための安全保障となる。新しい年を迎えた今、日本も未来につなげる大きな初夢を描きたい。                        (了)
 

ブラジルにシイタケ移植の日本人

筆者: 眞砂 睦

 

ブラジルにシイタケを根付かせた、山下亮という友人が居る。兵庫県出身で、大阪府立大学農学部を卒業後、1969年に移住。専門知識を生かして、長年日系の化学会社で肥料の生産・販売に従事していた。
 その彼が1983年に日本に一時帰国して大学時代の恩師を訪ねた際、突然「ブラジルではシイタケが栽培されていますか」という質問を受けた。「まだ誰も栽培していません」と答えると「では君がやってはどうですか」と提案されたのが始まりとなった。
恩師は日本キノコ学会の会長をされた重鎮だったが、早速自ら十種類のシイタケ菌を手配してくれた。思いがけない展開にとまどったが、先生の熱意に押されて種菌を持ち帰ることにした。
 山下氏が住んでいる南部のクリチーバ市は海抜数百メートルの高原都市なので涼しいのが幸いした。彼は市の郊外に山林をもっていたが、その広い敷地の中にクヌギとクリの木が育っていたことも好都合だった。それらの木をホダ木にして、先生からもらった菌を植えこむと、みごとにシイタケが収穫できた。
これに勇気づけられた彼は、本気でシイタケをブラジルに根付かせようと考えるようになる。それにはシイタケの種菌の培養から始める必要があった。そこで試験的に種菌を栽培し、それを恩師に見てもらうために再び日本へ。種菌を検査した先生は「これで充分」と太鼓判を押してくれた。さらに「来年僕がブラジルに行って、現場をみてあげるから、しっかり植え込みなさい」と激励を受けた。
帰国した彼は、早速所有する山林に山小屋を建てて増産準備を整え、次の年先生を迎え入れた。この時に生産現場で直接先生から受けた貴重な指導が土台となって、量産に自信をもった山下氏は、本格的にシイタケ事業に乗り出すことを決断した。
 生産は軌道に乗せることができたが、問題は販売。なにしろ全く新しい商品である。シイタケ料理の説明書をつけてスーパーに売り込むことから始めた。幸いだったのは、現地の日本食堂がいち早くメニューに取り入れてくれたことだった。やがて、これまでにないうま味のあるキノコということで評判となっていく。ほどなくグロボという全国ネットのテレビ局の目にとまり、週末のゴールデンアワーに「新しいキノコをブラジルに持ち込んだ日本人」という番組が大々的に全国放映された。それがきっかけでシイタケが一躍ブラジル社会に知られるようになった。
その後多くの日系人が栽培を手掛けるようになって生産量も増え、今ではシイタケを使った料理がすっかりブラジル人の食生活に浸透している。
「恩師に背中を押され、手を引かれて、思ってもなかった役柄を演じることになりました」とはご本人の言葉である。 (了)

 
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