【ニッポン歴史探訪】平城宮跡(へいじょうきゅうあと)

 

浜松城と徳川家康:

 

 徳川家康(とくがわいえやす Tokugawa  Ieyasu 15421616)は日本人なら誰でも知っているとても有名な武将の一人です。激動の戦国時代に、今川義元(いまがわよしもと Imagawa Yoshimoto)、織田信長(おだのぶなが Oda Nobunaga)、豊臣秀吉(とよとみひでよし Toyotomi Hideyoshi)たちに服従する忍耐の時期を経て、やがて三河(みかわ Mikawa Eastern part of Aichi Prefecture)、遠江(とおとうみ、Tohtoumi、Western part of Shizuoka Prefecture)、駿河(するが、SurugaCentral and Eastern parts of  Shizuoka Prefecture) の地域を中心に実力をつけ、遂には、天下の帰趨を決する「関ヶ原の戦い」(1600)を制し、15代にわたり続く徳川(江戸)幕府(16031867)の基礎を固めた人物です。この徳川家康が17年間ここ浜松城を根城にして活躍しました。家康は自分の支配地の北に接する甲斐(かい Kai Yamanashi Prefecture)・信濃(しなの ShinanoNagano Prefecture)の支配者である武田信玄・勝頼(たけだしんげん・かつより Takeda ShingenKatsuyori)の親子と何度も城の奪い合いをしました。「三方ヶ 原(みかたがはら)の戦い」(1572)はその一つです。この戦争では家康は敗北しましたが、家康はそれを教訓にして、 次の「長篠(ながしの)の戦い」(1575)では見事鉄砲隊の威力で武田軍をやっつけました。

          

浜松城への行き方:浜松駅バスターミナル13番のりば「浜松城公園入口」下車。

 

 (筆者 黒瀬 宏洋)

 

筆者ごあいさつ

 


 

alt黒瀬宏洋(くろせ ひろみ)です。中学・高校時代、日本史の勉強にあたり、例えば、武将たちの離合集散、攘夷派と開国派の対立などの動きが複雑極まり、歴史の流れを把握する難儀さを痛感しました。歴史事件の背景などを時間をかけて調べる努力を払うべきだったのでしょうが、歴史だけに時間を割くわけにもゆきませんでした。

こんな反省に立ち、それから数十年後、仕事を離れて自由時間を持てた際、歴史の現場跡を踏み、歴史事件の背後事情などを、孫たちに、自分なりに納得できる形で語る機会を作ろうと考えるようになりました。

 

そうした折、早稲田大学海外移住研究会の仲間である加藤仁紀さんから、日系ブラジル人を対象にできるだけ易しく日本の史跡を紹介してくれないかとのお話がありました。そこで、かっての歴史苦手男ですが、孫も日系ブラジル人も同じだと、勇を奮ってその役に挑戦することにしました。始めるからには、極力、歴史の現場跡に足を運び、また、Google Earthを利用して空から現場跡を眺めるなりして、できるだけ分かりやすく歴史事件を報告するよう心がけます。どうぞよろしくお願いします。

                                     



 

 
さらに記事を読む...
会員募集 ボランティア募集 資金募集 広告募集