日伯学園建設こそ100周年記念事業の本命

 

alt<筆者プロフィール>

 サンパウロ人文科学研究所顧問  宮尾 進 

 ブラジル・サンパウロ州アリアンサ移住地出身、信州大学文理学部人文科学科哲学科卒業(1953年)、サンパウロ女学院教師、「農業と共同」誌(コチア 組合刊)・「ブラジルの農業」誌(コペラソン出版刊)編集長。サンパウロ人文科学研究所創立に参加(1965年)、同理事、同事務局長、同所長 (1991~2002年)。「ボーダレスになる日系人(ブラジルの日系社会論集)」、「臣道聯盟(移民空白時代と同胞社会の混乱)」など日系社会関係の著 書多数。日系社会研究の第一人者。2013年 春叙勲。

 

 



 

  この論文「日伯学園建設こそ百周年記念事業の本命」は、サンパウロ人文科学研究所、元所長宮尾進氏が、日本移民100周年に先立つ2005年頃に執筆され、当時ブラジルのサンパウロ新聞及びニッケイ新聞に掲載されたものです。100周年記念事業に先だって、日系社会にアッピールするために書かれ、両紙に賛同の投書が寄せられたとのことです。実際の100周年祭典はすべて一過性のイベントに終ってしまい残念ながらこれを含め事業としては何一つ残らなかったようですが、日伯学園建設に関わる関係者の熱意は、その後非営利の日伯教育機構(サンパウロ)の設立に結びつき、現在これを受けて日本側も社団法人日本ブラジル中央協会(港区)が同機構を支援する活動を行っております。
  今、改めて本論文を我々のホームページに転載させて頂くに際し、サンパウロの同氏よりこの度の東日本巨大地震に関し、メッセージが寄せられましたので以下にご紹介させて頂きます(2011年4月1日 Trabras)。



 


<東日本巨大地震に関する宮尾進氏からのメッセージ>
 「東北大震災のことですが、当地でも幾日にもわたって報道され、特にテレビニュースなどは、この大災害にあっての日本国民の冷静、沈着な行動を、とてもブラジルでは信じられないこととくりかえし、報じておりました。事実、今年ブラジルでは各地で大出水が見られ、水害の模様がニュースで報じられていましたが、それに伴う被害者のスーパーの戸を破っての食品の略奪など、あたり前のように報じられていますので、そうした事態がまったく見られなかった日本の状況は“信じられない”とアナウンサー自身が何度も何度もくりかえし言うほどの、日本国民の行動をブラジル人は驚嘆の眼で見ております。
  私たちが日伯学園を通してブラジル国民の中に浸透させて行きたいと願っているのは、それこそ、日本移民世代が身につけて来たこうした協力一致・沈着冷静な行動など、日本文化のすぐれた資質なのです。今回の大地震は日本の人たちにとっては、かつてない不幸な事件ではありましたが、ある面でははからずも他では見られないこうした日本人のすぐれた資質を事実を通して示してくれた出来ごとであったと思っています。日伯学園の建設を目ざす私たちは、この事態を日本文化教育の中に、有効に生かして行きたいものと思っています。それがまた2万人を越すであろう、この災害の犠牲者の冥福を祈る追善にもつながることと考えられます。」(2011年3月24日、宮尾 進)

 

 


 

【日伯学園建設こそ100周年記念事業の本命】  宮尾 進

 

・はじめに

 今回のサンパウロ日本文化協会々長選挙に際し、私は「人文研」という日系社会を調査研究している立場から、上原派、谷派のいずれにも偏せず、両者の動きを観察してきた。
 選挙の結果は、周知の通り、上原派の勝利となったが、上原派の移民100周年記念事業の本命としての、サンパウロ市レオポルジーナ地区での広壮な日伯総合センター建設案は、谷派及びその周辺の強力な反対により、引っ込められた。しかし、これに替わるものとして、谷派はやはり、サンパウロにおける日系人居住の原点、あるいは、心の故郷ともいうべきリベルダーデ地区にこだわり、現サンパウロ日本文化協会の建物を増築することをもって、100周年記念事業の目玉とすることを主張した。谷派は敗者となったが、この点に関しては、大方の賛意を得ることが出来、上原派もレオポルジーナ建設案を引っ込めざるを得なかった。
 が、いずれにしろ、両派の主張はともに箱物の建設に終止したことであり、あと3年後に100周年を迎えようとしているいま、いったいこれからの日系社会をどう考え、どのようにリードして行くのか、というもっとも基本的、重要なヴィジョンは、両者の政見ともいうべき、発表された言辞からは、この選挙を通じて、私は具体的に何ら窺うことが出来なかった。

 箱物にこだわるのはいゝとしても、私がもっとも疑問に感じたのは、立派な建物を造ったとしても、これに参加し、利用するのはいったい誰なのか、両者ともそれをどの様に考えているのか、ということであった。
 とかく箱物を造ったとしても、それを利用する者が殆どなく、維持に苦労するという現象は、たびたび私たちの目にするところであり、耳にするところである。いくら立派な箱物を造りあげたからといって、自然に人が集まるものではないのである。箱物を造る以前に、その建物にもられる内容に関心を抱き、よろこんで参加利用する者が多くいなければならない。そういう施設があって欲しいという多くの人の要望があってこそ、箱物の活動は機能することになるのである。その点に関して、両派とも具体的な構想は、何も明らかにしていなかった。

 

・箱物造りの前に知らなければならないこと

 移民70年祭あたりをピークとして、移民世代の造りあげて来たコロニア社会は、急激に衰微の傾向をたどって来た。移民世代の高齢化とともに、活動力の限界が来たことによる衰微が原因の一つであったろうが、問題は、この移民世代のつくったコロニアに、二世以下の世代にこれを継承して、より盛り立てて行こうとする志向がなかったことが、最も大きな原因である。しかし、それはいまになって考えて見れば、何も後継世代の責任ではない。

 戦前移民世代は、日本敗戦の報を苦汁の思いを経て受け入れると、50年代になり、ようやくブラジルに骨を埋める覚悟を固めた。それと同時に、それまでの錦衣帰国にそなえての二世々代に対する日本語教育・日本人教育を捨て、ブラジル社会での上昇手段として、高学歴を身につけさせることにもっとも力を注いで来たのである。この苦闘はみごとに報いられ、二世々代以降のニッケイ人は、ブラジル社会の中ではとび抜けた高学歴所有者となり、ドットールとしてブラジル人一般よりもはるかに高い所得を得、各界に深く浸透して行った。その結果、彼らはコロニアを遠く離れ、移民世代が期待していたように、コロニア社会に帰ることは遂になかった。そして、コロニアは移民世代の高齢化とともにやせ細って来たのである。
 そういう背景のもとで、このたびようやくこうしたコロニアの現状をふまえ、日系社会の中心機関として、かつてはたしかに機能して来たブラジル日本文化協会、そしていまや一地域文化協会にまで、その機能を低下してしまったこの組織を、再構築し、新たな日系社会を形づくらねばならない、ということで、二世々代を中心とする上原派、戦後移住者を中心とする谷派の両者が、しのぎを削って選挙戦を展開したのだ、と思われる。
 しかし両者ともに、こうした日系社会の歴史的推移をよく認識し、どのようにして衰退化している現在の日系社会を活性化して行くかを熟考の上、立候補したのかは、その具体的なプランが明示されることはなかったし、選挙戦後もなおそれは示されていないために、どうもこのたびの選挙は、箱物をどこに造るかの争いに終わってしまった感が強く残るだけであった。
 そこで、日系社会を新たに構築して行くにあたって、考えなければならないことは、何がもっとも優先的になされなければならない必要事なのか、ということであり、そのためにはまず、日系社会のおかれている現状を、より深く把握しておかなければならない。

 

・日系社会の現状
17年前、移民80年祭の折に、祭典事業の一環として私たち人文研が行った日系人実態調査に基いて、現状を推定して見ると、ブラジル日系人総数は、すでに150万人前後(そのうちの約30万人が日本へデカセギ就労中)と見られる。
 しかし、150万人という日系人が日系「社会」を構成しているわけではなく、単に数として存在するということであり、日系社会といおうとComunidade Nikkeiといおうと、150万すべてを包含する実態社会が存在するわけではないことを、まず認識しておかなければならない。
 では現在、少なくとも移民世代の造りあげて来た「コロニア社会」に何らかのアイデンティティ(帰属意識)をもって参加しているニッケイ人はどのくらいいるのか。
 おそらく移民世代は、よく見つもっても、150万人のうちの5%程、せいぜい7万数千人(2000年度のブラジルの国勢調査で日本国籍者は52,496人と出ている。調査時点で日本へデカセギに行っている者を除けば、妥当な数字かもしれない)その後継世代では、二世々代はすでに高齢化の段階にある者が多く、減少の傾向にあるが、彼らの一部にはまだコロニア社会に何らかの関りを持つものが、見られはするにしても、三世以下の世代においては、コロニア社会にアイデンティティをもつものは、まったくの希少価値的存在と見てもいゝだろう。(このことはこのたびの選挙に三世々代の参加が、ほとんど見られなかったことを見ても明らかであろう)。私の推定では、現在150万人の日系総数のうち、三世々代が最も多く、おそらく全体の半分程を占めていると思われるが、ニッケイ人とはいえ、17年前の調査では、すでに三世々代の42%が混血となっていた。従って現状ではさらに増え、おそらくは60%程が混血化しているだろうと思われる。そして現在最も増加傾向にあるだろう四世々代においては、17年前の調査時で半数以上の62%が混血であったが、混血度の高まりの著しい現在では、四世々代の80%程はすでに混血であろうと推測される。

 ニッケイ人とはいえ、この様に日系度が1/2,1/4,1/8とうすまって行くと、日系人意識というものは急激に失われて行くことをまぬがれず、要するに三世以下の世代は、ブラジル人一般と変わりのない存在なのである。
 われわれこそいまだに、こういう世代を含めて「日系人」という名称を使ってはいるが、間もなく「日系人」ということばも、死語となる日が来るだろうと思われる。
 こういう過程にあるのがいつわりのないわれわれ日系社会の実態であり、従って、現在既成のコロニア社会に帰属意識を多少なりと持ち、何らかの関りをもっている者は、日系全体の1割程度以下、10万にも満たないのではないかと推測される。
 その様な状況の中にある「コロニア社会」に替わるべき新たな日系社会あるいはComunidade Nikkeiなるものを造りあげて行くということは、まったく至難のわざであるといえる。
 何よりもまず、3世以下の世代が、上記のような混血度の高い傾向にある現状において、ニッケイ人のみを対象としてこれからの日系社会の構築を考えることは、現実にそぐわないのみならず、無意味である。

 

・基本は日本文化に関心ある者を育てること

  上記のような状況にあるからといって、新しい日系社会の構築を断念し、放棄することは、かって26万の日本移民があり、二世々代をも通じて、ブラジル社会の多方面に貢献を果たして来たことも、やがて忘れられ、日本移民、ニッケイ人の存在したことの意義も消え去って行くことになるであろう。
 確かに二、三世々代の中にも、「われわれニッケイも、これだけブラジル社会に同化(assimilacao)したのだから、それでいゝのではないか」、という声が聞かれる。 

  同化とは、それぞれの移民人種が人種的なこだわりも捨て、持って来た文化も忘れて、ブラジル社会の中に完全に溶解することであり、戦前、30年代のヴァルガス政権は、なかなかブラジル社会に溶け込もうとしない日本移民やドイツ移民などを対象に、強制的ともいえる同化政策をとり、そのために、14歳以下の児童に、外国語で教育してはならないとか、外国語の新聞さえも発禁した。
 しかし近年では、人種的・文化的に溶け混ざった「るつぼ」(melting pot)社会を目ざした戦前とは変わって、「同化」を口にすることはなく、逆に多人種・多文化社会を認めるようになり、ブラジルという国を構成する各人種が、それぞれの民族的特徴を生かして、全体的にまとまる統合(integracao)社会を理想として行くようになっている。
 そうした戦後の時代になって、日系社会は二、三世々代が各面でブラジル社会に浸透して行くとともに、急激にヴァルガス政権が求めた同化傾向をたどって来た。

 現今のブラジル社会が理想とする、それぞれの国の移民人種がもたらしたその国の文化を後継世代にも継承し、ブラジル社会全体をまとめて統合して行くという、いわゆるサラダボウル(ブラジル社会という一つのうつわのなかで、アルファッセはアルファッセの、トマテはトマテの持ち味を失なわず、まとまってサラダをつくること)を理想とするなかで、なぜニッケイ人は他人種には見られない、ブラジルの学者も驚くほどのドラスチック(激烈)な同化傾向をきわめて来たのか。このことは、日本人またブラジルにある私たち自身のありようを知る上で、考えて見なければならない問題でもあるだろう。

 

・まずは教育機関の創設

 上記にるる述べて来た日系社会の現状の中で、日系社会なるものを新たに構築するとしたならば、まず第一に何を為さねばならないか。何よりも先に立派な箱物を造るということが、いかに意味のない無駄なことであるかが理解されるであろう。
 それ以前にしなければならないことは、二、三世以降のニッケイ世代を含めた、ブラジル人一般に対する、移民世代にはじまる、日本文化の普及以外にないだろう。
 ニッケイ後継世代の場合、これは日本文化の継承ということになるだろうが、とにかく、いままず必要なことは、ブラジルに広く日本文化なるものを普及し、伝えて行くことである。

 ここで私の言う日本文化とは、とかく誤解されるように、生け花だとか、茶道だとか形のあるものだけでなく、永い伝統を持つ日本人のつくり上げて来た、広い意味の日本文化の特質、良き資質を、ニッケイ後継世代を含めたブラジル国民の間に普及させて行くことである。
 サンパウロ日本文化協会(Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa)その創設当初の基本理念の中に、日系コロニアの代表機関たることのみならず、その名称にも謳われているように、「ブラジル国民に対する積極的日本文化の紹介、日伯文化交流の促進強化」を掲げ、日本文化のブラジル国民に対する、積極的普及を目ざしていたはずなのである。
 従って、これからの新文化協会の再構築は、創設当初の基本理念に立ち帰り、ブラジルにおける日本文化普及の中心センターであるべく、それを目ざすべきなのである。

 現状においては、ニッケイ後継世代を含めて、日本文化に関心を持つものは極めて少ない。
 ここ数年、日本食ブームが起きたり、”Ultimo Samurai”という映画や「宮本武蔵」のほん訳ものゝ出版がベストセラーになったりで、「ブシドー」に関心を持つものが出て来たり、あるいはアニメブームで若者の層も含めて、ブラジル人の間に日本文化に対する関心は多少高まって来ている。これを契機として、日本文化をもっと詳しく知りたいということで、ニッケイ人児童の間では、急激に衰えて来ていた日本語学習者に替わって、非ニッケイ人の間に日本語を学ぶ者が増えて来ているといわれ、まことによろこばしい現象にはちがいない。

 そこで肝要なことは、こうした現象を単なる一過性のものに終わらせず、持続的にこの傾向が続くように、そうしたことを目的とする組織・施設を造り、機能的、積極的に日本文化の普及を計って行くことである。
 それには、何をおいても、日本文化普及を基本理念とした、組織的な教育機関の創設である。 

 

・新たに日伯学園の構築

 以上述べて来た結論としての、教育機関とは具体的にどのような形のものなのか。
 それは何も目新しい構想のものではない。もう何十年も前から繰り返し蒸し返し議論され、検討され、一度として実現の運びに至らなかった、「日伯学園」なのである。
 現上原体制前の文化協会にも「日伯学園検討委員会」なるものがあり、数年かけて学園のあるべき姿が検討されて来たが、現体制への交替の中でそれは継続検討されることなく棚上げされてしまった模様である。私はこの委員会に多少関りを持ち、“「日伯学園」創設についての私見”なるものを提出したことがあるので、この時の私見をもとにして、以下再び私の考えている「日伯学園」の基本構想を記して見たい。

 

・何のために日伯学園を創るのか

 私の日伯学園創設の目的とも言うべきものは、この国、ブラジルに対する「日本文化の普及」である。
 もちろんこの日本文化普及にはニッケイ後継者も含まれるが、これから日伯学園が具体的に創設発足する頃には、前述の如く、後継者世代の多くは混血となり、ニッケイという呼称も使い得るのかどうかもあいまいな状況となっているであろう。従ってニッケイ後継者に対する日本文化の伝承、優秀なニッケイ後継者の育成といったことを学園創設の理念とすることは実質的意義を持たないものになる。

 そのような状況を前提として考慮するならば、これからの日伯学園創設の理念は一にも二にも、ニッケイ後継者のみならず、ブラジル人一般に対する日本語教育も含む「日本文化の普及」以外にない。
 それも単に日本文化を知らしめるばかりでなく、ブラジル社会に役立ち得る日本文化の良き資質の涵養を校風とし、学園在校生を通じて育成し、彼らを通じてブラジル社会に徐々に浸透させて行き、やがて各民族「統合」のあかつきに形成されるであろうブラジルの新文明に貢献することをもって学園創設の目的とすべきである。

 しかし、残念ながら「日本文化」を海外・外国・外国人に知らしめようとする積極的意志・意識は、日本の日本人―政治家・財界人その他一般国民を含めてーのみならず、われわれブラジルにある日系人にも、殆ど存在しないことはこれまでの歴史が証明している。
 日本はその国の成り立ちの頃から、遣隋使・遣唐使を派遣し、海外の文化を積極的に取り入れ、自家薬篭中のものとして、日本文化を創りあげてきた。また明治維新後も西欧に多くの使節を派遣し、それらの文化を取り入れ、近代国家に変革させることに努力し、短期間に近代化に成功したことは周知の事実である。
 このように海外文化の受信能力は他に類を見ない程すぐれた民族であるが、残念ながら自国文化を他に普及し、知らしようという発信能力は、まったく今日に至るまで欠如しているといっても言い過ぎではない。
 われわれ日本人(ブラジルのニッケイ人を含めて)には、なぜ日本文化を他国人に知らしめなければならないのかの意義がまったくわからないのである。

 それは何故か。結論的に言えば日本は島国であり、かつて外国に侵略されることもなく、長い歴史の中で一国一民族の平和な時を保つことが可能であったがために、あえて日本文化を海外に知らしめる理由は何もなかったからである。
 かつて私達の研究所が「ドイツ系におけるドイツ語教育」の調査をした際、ドイツ系コレジオの責任者は次のように語っていた。
 「私たちがドイツ語を含めたドイツ文化の普及に力を入れているのは何かというと、私たちとしてはドイツ系後継世代に対しては、何世になろうともドイツ語を習得し、ドイツ文化を継承して欲しいというエモーショナルな動機がある。同時にドイツ国としては、ブラジルに多大な投資をし、1,000社にものぼるドイツ系企業が現在ブラジルで活動しているが、これらの多大な投資に対し、ブラジル人一般がひとりでも多くドイツ語を知りドイツ文化を知ってドイツに対する理解を示してくれることは、単に一企業にとって大きな利益になるばかりでなく、ドイツの国益にも大きくつながることになる。ドイツ系の企業がわれわれのこうした理念に理解を示し、われわれの学校教育に対し、多額の資金的協力をしてくれているのも、そうした共通の利益に基くものである」

 こうしたヴィジョンはわが日系社会の指導者たちあるいは日語教育関係者、また日本からの進出企業の経営者の中に多少なりともあるであろうか。
 数年前発表された日本商工会議所の日本語教育に対する企業としての対応の実情調査の結果を見ても、20数年前われわれが協力して行った同様調査と同じく、社内では日本語能力よりも英語能力重視で日本語に関しては無関心というものが大多数を示している。
 更に例をあげれば、ここブラジルに自国移民社会があるわけでもないのに、言語も含めた自国文化の普及に日本人には考えも及ばない多額の資金を投下しているイギリスやフランスをどう見れば良いのか。

 イギリスはBritish Counsil により、Cultura Ingresa をサンパウロ市内だけでも10数校も開設し、英語と同時にイギリス文化の普及につとめているばかりでなく、数年前、ピニェイロス区にその本部とも言うべき大きな文化普及センター(イギリス総領事館も同居)を新たに開設し、一層自国文化普及に力を注いでいる。同様にフランスもまたAlianca Francesa 校を市内だけでも数校持ち、多大な予算を計上してフランス語・フランス文化普及に力を入れている。

 これに次いで文化普及に努力している国はドイツであるが、ドイツはゲーテ・インスチチュート・ドイツ文化センター(半官半民)をもってドイツ語と同時にドイツ文化普及を目指しているばかりでなく、ドイツ系エスニック・コレジオ、ドイツ商工会議所・ドイツ総領事館ともども、協議会をつくりあげ、ブラジル社会に、いかに有効にドイツ語・ドイツ文化を普及させるかを協議検討し、その結果を全国で実施している。
 彼らはなぜこれほど自国文化普及に力を入れているのか、考えてみるとそうした対外文化普及のための投資(イギリス・フランスは日本[国際交流基金=Fundacao Japao]予算の数十倍、ドイツは10倍)は、どうも旧帝国主義時代に海外植民地を多く持った国ほど現在でもその予算額は大きいといえそうである。

 それはとりもなおさず、植民地経営体験から、海外における自国文化普及が自国の国益と直接つながっていることを経験的に知っているからにほかならないだろう。それが植民地を喪失した現在でも生かされているということである。事実ドイツ系の関係者は「海外における文化投資は直接目にはあきらかには見えないが、長い目で見れば必ず国益となって戻ってくるものである。」と語っている。
 われわれ日本人・ニッケイ人にはこうした過去の歴史的経験も希薄なため、彼らのありようを理解することは困難であるが、自国文化の普及の重要性を彼らから学ぶ必要があるのではないか。
 国家の成り立ちから1千年余もの歴史の中で、平穏な時を過ごし得たことはまったく奇跡的な幸運であったというべきかも知れないが、しかしこうした幸運な結果として、グローバリゼーションという現代においても、いまだ日本人は異民族・異文化との接触のあり方を十分に会得せず、さらにまた他民族のような強い民族意識というものも個々の肉体の中に育成されることもなく、今日に至ってしまった。永い平穏な歴史であったが故のマイナスの資質は、いまもなお日本人の国際感覚の欠如、民族意識の希薄さなどとなって、生きているのである。

 こうして欠落した資質は一朝一夕にして学び得るものでもなく、ましてや骨肉化することはむずかしい。ブラジルに移住した日本移民は異民族・異文化に触れはじめて「日本人となった」といわれ、ブラジルでの1世紀に近いこれら異民族・異文化との接触の中で日本の日本人よりは異民族との接触能力も多少会得して来はしたが、しかし、他民族のような民族意識、またそれに基いたものの考え方を十分に養い得たとはいえない。他国移民のようにそれぞれの文化を後継世代に伝えるとともに、ブラジル社会の中にもその良きものを普及して行こうという強い信念のもとにエスニック(民族)系コレジオを移民社会あげて建設し得なかったのも、日本民族としてのこうした資質の欠如がわれわれ日本人移民ひいては後継二世々代にもあったからであろう、と私は思う。


 僅かに6万人といわれる韓国移住者が、移住35年にして300万ドルの資金をつくり、本国政府300万ドルの助成を得て、韓伯学園を数年前に創りあげたのは、まさに日本人には欠如している民族意識が強烈に彼らの中には骨肉化されているからに相違ないからである。中国に支配され、日本帝国主義に侵略され、民族としての塗炭の苦しみをなめてきた韓民族の中にはわれわれの知ることのできない強い民族意識が個々にあり、それが後継世代に失われないよう、大変な努力をしてこのエスニック系コレジオを建設したものといえよう。

 ヨーロッパ系移民社会に同様のエスニック系コレジオがサンパウロにも数多く存在し、現在それらがいずれも有数の優秀校として認められているのも、その根底にあるのは、それぞれの民族が自国文化を後継世代に伝えると同時にブラジル国民にもその良きものを普及させて自国に対する理解をもとめるとともに新しいブラジル文化の形成に参加したいという移民社会及び本国政府の強い意欲があったからにほかならない。
 「民族意識」という言葉はグローバリゼーションの現代においては、時代錯誤のものととらえられがちである。確かにその意識の強烈な余りの民族抗争はいまなお各地に見られるところではあるが、強烈すぎる民族意識は現代社会においては歓迎されるところではないにしても、そうした意識がきわめて希薄であることも余り歓迎されるものではない。

 現状のままで行けばおそらく六世々代のころには100%混血の時代が出現し、“ニッケイ”という呼称も喪失される状況になるだろう、というのが私の日系社会に対する予見である。そうした状況は近い将来に到達するであろう。それはそれでよしとするのも一つの見識と言うべきかも知れないが、多くの日系人にとっても、また多人種・多文化主義を良しとするブラジル社会にとっても、それは決して望ましいあり方とは言えないであろう。
 いずれ長い歴史の中で、ブラジルを構成する各民族・人種が混血・融合し新しい文明・文化が誕生することになるかも知れないが、融合する民族それぞれが文化的特質を備えつつそれらが次第に融合して行くことによって、特質あるブラジル文化が造成されることになるのである。

 そうした意味でもわれわれはブラジル社会にも貢献出来る日本文化の良き資質をニッケイ後継世代にも伝えて行くとともに、ブラジル一般社会にも普及させて行くことをもって、日系社会の存在を意義あるものとすべきだと考えられる。「日伯学園」なるものはこうした趣旨・目的・理念のもとに構想されなければならないだろう。
 参考までに記すと、梅棹忠夫大阪国立民俗学博物館長はブラジル移民70周年国際シンポジュームの基調講演“われら新世界に参加す”の中で次のように述べている。

 「統合ということは、文化的なアイデンティティを全く失ってしまうことを意味するものではない。ブラジルについて言えば、ニッケイ人が日本的文化の諸要素を完全に失ってしまって、ブラジル基層文化の中に吸収され、埋没してしまうことではない。日本の文化的伝統の中に、この国の発展のために役立つような部分があるとすれば、それを大いに役立ててこそ「統合」の実があるのではなかろうか。社会的統合ということと文化的多元主義ということは必ず両立するものである。このブラジルにおいても人種的混合は着実に進行するにしても、それぞれの文化的伝統はある程度保持されつつ、文化的多元主義による新文明の形成という道をたどるのではないだろうか、その時、日系社会における文化的伝統は、新しいブラジル社会に何を寄与し、何を貢献することができるだろうか・・・たとえば、われわれの文化的価値体系の中では勤勉という徳目がきわめて高い位置におかれていることはよく知られている事実である。それから知的活動性、緻密な頭脳と科学的合理主義、これらも日本文化の大きな特徴である。そして、それを次の世代に確実に伝達するための教育への熱心さ、こういうものが今日の日本の科学と技術を築き上げてきたのである。・・・さらにもう一つ、日本の文化的伝統的特性をつけくわえるならばその高度な組織力ということをあげるべきだろう。それは、人間関係における誠実さ、協調性の高さ、団結力などの形であらわれてくる。・・・これらの日本文化的伝統の中にふくまれた幾多の価値ある資質は、ブラジル社会においてもなお十分に価値をもつものと考える。私は日系ブラジル人の間で、これらの日本的資質がしっかりと保たれて、それによってこの社会に貢献が行われることを期待する。・・・文化的伝統は遺伝的血統の問題ではない。いかに混血が進もうとも、これらの高い資質は、家庭、学校、社会の努力を通じて、確実に次の世代に伝えることができるものがある。・・・日系移住者の子孫達が、このような日本の伝統ののよき点、優れた点をブラジル社会に導入する上に、きわめて有利な立場にあることはいうまでもない。文化的伝統の継承というものは、人間から人間への伝達によって可能となるものである。」
 
・他国エスニック系コレジオと同様の日伯学園を

   2001年10月3日付“Veja Sao Paulo”誌の“Melhores Escolas da Cidade”にとりあげられた100人の教育関係専門家のサンパウロ市内私立コレジオ324校からの選出による50のコレジオ優秀校を見ると、エスニック系コレジオは次の如くいずれも上位を占めている。
                                               Ponto
  1位  Colegio Visconde de Porto Seguro      94.1  (ドイツ系)
  7位    Colegio Miguel de Cervantes           81.1 (スペイン系)
  8位    Colegio Dante Alighieli                79.9 (イタリア系)
  10位   Colegio Humboldt                     76.9 (ドイツ系)
  14位   Colegio I.L.Peretz                     76.0 (イスラエル系)
  18位   Colegio Hebraico Brasil Renascenca     73.0 (イスラエル系)

 この中で歴史的に古いものは1位のPorto Seguro校の123年であるが創立後もっとも新しいのは1978年創立のColegio Miguel de Cervantesの23年である。同コレジオはスペイン系社会がモルンビーに土地を手当てし、学校建設費はスペイン政府の援助によって出来たものであるが、創立僅かに23年にして7位の優秀校としてあげられていることは何によるものかを考えるべきであろう。
 「これだけブラジル社会に日系後継者が融合してしまっている現状において、いまさら日系コレジオ創設には時期的に遅すぎる」と言う声もあるが、スペイン系移民の最盛期は19世紀後半であり20世紀以降ブラジル移民の中では最も多かった日系に較べ、スペイン移民は同世紀には大幅に減少し、見るべき程の数はなかった。移民の歴史100数年を経、混血も進化し、六世七世を数える時に至ってスペイン系社会が本国政府とともにこのエスニック系コレジオを建設しようとした意図、そして短期間に一流校の上位に選出されるまでに至ったその学校運営への努力は何のためであったのか。

 日伯学園建設にあたって、われわれはもっとスペイン系に限らず他のエスニック系コレジオのありようを具体的に調査研究・検討してみる必要があるのではないか。
 そして、何よりも先に基本的に言えることは、われわれ日本人・日本文化の良き資質をブラジル社会に浸透させて行くのには、そうしたよきものを在校生育成の目的とし、校風として行くことであり、そのためにはまだ人格の確立されていない少年期より長期の学習によって育成し、ブラジル社会に役立つ人格を形成し社会人として世に送り出すことである。そのためにはやはり、初級・中級より始まる一貫したコレジオの形態が望ましい。Porto Seguroの校長は「われわれポルトは将来に役立つ学生を準備教育するためのコレジオである。」と答えている。
 いまからでも決して遅いことはない。先行各エスニック系コレジオを凌駕する日系コレジオを創設し一流校を目指すべきである。

 

・日本語・日本文化普及のモデル・センターとしての「日伯学園」

  前述の日伯学園検討委員会においては、学園は既存の日語校と競合しないよう考慮すべきとの意見も多数あったが、競合するような次元の学校を考えているのであれば、そのような学園を建設する意義はまったく存在しない。「日伯学園」は上述したような日本文化をブラジル社会の中に浸透させ普及して行くためのものであり、他の多くの既存日語校のモデル校・実験校ともなるべき学校であるべきなのである。
参考までに記せば、ドイツ系社会においては上述の如くポルト・セグーロ校、フンボルト校、ゲーテ・インスチチュート、ドイツ総領事館、ドイツ商工会議所をもってドイツ語・ドイツ文化普及のための協議会を既に20年も前に設け、いかに有効に普及活動を実施するかの検討を行い、その結果を機能的に実施している。例えば何よりもドイツ語・ドイツ文化に精通した教師の養成が必要ということになれば、その教師養成のためにドイツ系企業は膨大な資金(人文研が82年に行った調査ではこの教師養成講座創設運営のためドイツ商工会議所は調査時点で5年間にわたり200万ドルの資金を提供していた)を援助していたが、現在では更に優秀なドイツ語・ドイツ文化教師養成のためゲーテ内により高度の養成コースを設けたり、南リオ・グランデ州リオ・シーノ大学内には大学に働きかけ、ドイツ語教師養成学科までも設置している。なお同協議会の決定事項は地域代表の手を経て、各地のドイツ語講座のある学校において実施させている。

  人文研は、2001年国際交流基金日本語センター依頼の調査結果に基き、日系社会も総合的、有機的な日本語普及のため、ドイツ系にならって日語関係者の協議会を設置することの必要性を同基金に提言した。それに基き2002年より日語普及センター、アリアンサ日伯文化連盟、USP日本文化研究所、CEL・CELEN(サンパウロ・パラナ公立校外国語センター)日本語講座のある私立コレジオ、日本語講座のある大学、国際交流基金、JICA、総領事館、日本商工会議所の代表を集め国際交流基金日本語センター内に協議会が設置され、これまで個々に何の連絡もなく、独自の日本語教育をバラバラに行っていたものをもっと相互の連携により、有機的、機能的に日語普及を計ることとなった。

   いずれ学園構想が具体化してくれば、同協議会の教育内容のありかたについての意見も大いに生かされることとなろうと期待される。この協議会には既存の日語校代表も参加しているところから、新生日伯学園が同協議会をも包含し、検討された有効な日語・日本文化普及事項を既存日語校にまで敷衍して行けば、既存の地域日語校も大きく裨益されることとなる。いま、100周年目を目がけて、各地方に記念事業としての日伯学園建設構想が伝えられているが、各地域に立派な日伯学園が数多く出来ることはまことに望ましいことなのである。これらの学園の代表も参加した協議会が種々検討決定した事項を、新生日伯学園がまず実験的に試み、その結果を傘下参加校に敷衍させて行く、というモデル校的学園を目指すべきであり、既存の学園と競合になったり、サンパウロ在住の一部の学生しか利用できない、というような批判を受けるレベルのものであってはならないのである。そのような日伯学園でなければ建設の意義はないであろう。

  更につけ加えれば、前述の梅棹忠夫館長は同基調講演の中で「文化的伝統の継承というものは、人間から人間への伝達によって可能となるものである。しかし、逆にコミュニケーションの断絶は文化の断絶をもたらす。もし、日本文化が世界に何ごとかを貢献できる可能性をもつならば、われわれ、日本文化の系譜をひくものたちの間で、常に文化連帯をこそ、はかって行かなければならない」と述べている。即ち、ブラジル社会に日本文化の良きものをもって貢献するにしても常にオリージェンとしての日本に太いパイプを結び、断絶のないよう連帯をはからなければならないということである。そうした意味において、日本側にもこの日伯学園創設の意義を十分に理解してもらった上で、連帯の太いパイプを結んで行くことに協力してもらわなければならない。日本側の十分な協力を求めることもまた重要なことである。

 

・おわりに

  以上、私はくどいほどくりかえし、100周年記念事業としていまこそ日伯学園の建設が必要であることの理由を述べて来たが、懸念されることは、こうした提言がニッケイ人としてのエスニシティ(ethnicity、etnicidade、民族としての共属感覚、帰属意識)がいよいよ希薄となって来ている現在の日系社会の状況の中において、どれほど理解し、同意・共感を呼ぶことが出来、建設実現への動きをうながし得るか、ということである。また、たとい同意・共感するものが増えて来たとしても、それを組織化し、実現化に至るまでの過程で、段取りを二世中心の現文協をもってつつがなく果たし得るかということである。

 幸いに、一世移民世代の持って来たすぐれた文化的特質の中には、先述の梅棹館長のことばにもある高度な組織力、協調性の高さ、団結力といったものがいまもなお強力に彼ら世代の中に残されている。
 一例をあげれば、移民世代を中心とする県連(県人会連合会)が、これまで外部にいろいろな批判があったりしながらも、「日本祭り」を企画し、これを実行し、現在見られるような参加者を多く集め、年々盛大となり成功を招いているのは、まさに彼らの持つすぐれた企画力、高い協調性にもとづく組織力、実行力、団結力の賜物であった。

 こうした日本文化の伝統的な良き資質はブラジル国民の中にもっともかけているものであるが、同様に、ニッケイ後継世代においても、これが伝承されることなく、ほとんど失われてしまっている。
 こうした状況のまゝで行けば、おそらく90年祭がそうであったように、100周年祭も何一つ記念行事というものを残すことなく、一過性の式典をさゝやかに開催するだけに終わるのではないか、と懸念されるところである。
 日本文化の伝統的特質が殆ど伝承されていないこのような状況にあるからこそ、先述のような基本理念に基いた「日伯学園」の建設がいまこそなされねばならないのであるが、その実現のためには、どうしても、上記のようなすぐれた資質をもつ移民世代の力を借りなければ、目的達成は不可能なことである。
 これが実現の後、それを担って行くのは移民世代ではなく、明らかに後継世代なのである。今回の選挙の結果がいかようであったにしろ、後継世代は移民世代の力を借り、たりないものを補い、日伯学園の実現を目指し、それを通じて後継世代が忘れようとしている日本文化の種々の良き特質を涵養することである。そしてさらにそれをブラジル社会の中にもおし広め、ブラジルの新しい文化・文明の形成に寄与してこそ、たとい、「ニッケイ」という名称が消える日が来たとしても、日本移民・ニッケイ人の存在したことの貢献は消えることなく残るのである。
 おそらく移民100周年というのは、一つの大きな節目であるとともに、記念事業を行い得る最後の年となるであろう。移民世代、後継ニッケイ人世代、ともに相互補完、助け合い、力を合わせ、後顧の憂いない100周年記念事業を残さなければならないのである。

 この私の提言が日伯学園建設への触発となってくれれば幸いである。(完)

 


                                    


 

 
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