【ニッポン歴史探訪】五街道と江戸四宿 その2

五街道と江戸四宿 その2  

甲州街道(こうしゅうかいどう 甲州道中ともいう)は、日本橋から下諏訪まで44の宿場を数える全長約223Kmの街道です。日本橋から数えて最初の宿場である「内藤新宿(ないとうしんじゅく)」は、信濃(しなの、今の長野県)高遠藩(たかとうはん)内藤家(ないとうけ)の屋敷地の一部を提供されて出来たもので、江戸の西の固めを果たしました。内藤家屋敷地は、現在では、新宿御苑となり、貴重な緑地で東京都民に安らぎを与えています。また、この宿場は、浅草に近い吉原(よしわら)の雰囲気を備える宿場としてとても賑わったといわれます。ここを発つと、八王子、甲府などの宿場を通り最後の44番目の「下諏訪宿(しもすわしゅく)」で中山道に合流します。幕府直轄の天領(てんりょう, 代官が管理)の地を多く通過しますが、街道を利用した大名は高遠藩内藤家など限られた数でした。

奥州街道(おうしゅうかいどう 奥州道中ともいう)は、日本橋から宇都宮(うつのみや)を経由して「奥州白河(おうしゅうしらかわ)」に至る27宿、およそ190kmの街道です。しかし、一般には、奥州街道といえば陸奥三厩(みうまや)までの街道を指します。日本橋を発ち、浅草(あさくさ)、吉原(よしわら)、小 塚原刑場(こづかっぱらけいじょう  吉田松陰(よしだしょういん)が安政の大獄(あんせいのたいごく)によりここで刑死) を過ぎて千住大橋(せんじゅおおはし)を渡る と最初の宿場である「千住宿(せんじゅしゅく)」に着きます。 千住宿で、水戸道中(みとどうちゅう)・佐倉・成田(さくら・なりた)道が分かれることもあり、奥州街道で一番賑わう宿場でした。
松尾芭蕉(まつおばしょう)は、「千住」まで船を利用し、そこで船を降りると、弟子を従え、「奥の細道 (おくのほそみち)」の旅へ出かけました。古歌にまつわる名所などを訪ね歩きながら、俳句で綴る心打つ紀行を残しました。

日光街道(にっこうかいどう  日光道中ともいう)は、道中21宿あり、全長約140kmです。日本橋から宇都宮までの17宿は奥州街道と重なっています。宇都宮の追分(おいわけ  道が右左に別れるところ)で西に分岐した日光街道は、最後の「日光」に向かいます。ここで多くの旅人は、徳川家康を祀(まつ)る「日光東照宮(にっこうとうしょうしょぐう)  1617年完成」を参拝し、徳川幕府開祖の遺徳を偲びました。

参考
徹底図解  江戸時代   新星出版社
東京・江戸を歩く    実業之日本社
日本史のアーカイブ   とうほう
地図で訪ねる歴史の舞台  帝国書院
Wikipedia
以上    2013/12/14  黒瀬宏洋記

 

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