「日本語教育雑感」 (盛 茂樹)

                  
 

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【筆者プロフィール】

 森 茂樹
1943年生。福岡県立嘉穂工業高校電気科中退。1960年11月ブラジルに移住。農業、会社員、日本への出稼ぎ、日本語学校教師などを経て現在はブラジル、サンパウロ州、スザノ市自宅にて年金生活。SF小説執筆中。

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日本語教育雑感(その一)

 外国語習得の近道は実際その言語を公用語として使用する国に住んで暮らすことだとは誰でも考えることである。しかし、これにはある基本的な条件が不可欠なことを私自身の観察と体験から痛切に感じた。以下、ここに、それを述べてみたい。
 ちなみに私は日本に6年間出稼ぎにいってきた戦後移民であり、また、5年間ほどブラジル日系コロニア経営の日本語学校で日本語教師を勤めた者です。その条件とは各人各様で無数に考えられるだろうが、基本的には次の三つに要約できると思われる。

 

 一、外国でその人の暮らす環境に母国語を話す人がほとんどいない。

 二、一、に関連するがその外国語を習得しないとそこで生活していけない。

 三、外国語に異常なくらい興味があってなんとしてでも身につけたい。
 
この三つのどれかに当てはまっている場合、短期間にある程度の外国語習得水準に達することができると推察できる。

 

(一、の条件)

 例えば日本に約30万人いるといわれている日系ブラジル人の出稼ぎの場合、10年以上日本で仕事をして暮らしていても彼らのほとんどは挨拶程度ぐらいし か日本語が分からないのである。その理由は明白である。日本で暮らしていくのに日本語が分からなくてもなんら支障を感じないからである。単純労働がほとんどの彼らの職場では日本語はまず必要ないし、企業側も2008年末の不景気がくるまではそれをほとんど要求しなかったという事情もあったし、母国語だけで 生活していける環境が日本に整っているからである。日系ブラジル人コロニア的なものが出来上がっていて、そのなかで暮らしていれば日本語の必要性はほとんど感じないままに月日が経ってしまったというのが実情だろうと思われる。
 この現象は戦前戦後を通じてブラジルに移住してきた我々日本人一世に当てはめてみればよくわかる。驚くほど事情がよく似ているのである。あえて言えばその違いは町と農村ではあるが。勿論、例外はあるとしても日本人一世は失礼ながらブラジル語がとても下手か、ほとんど話せない。分からないというのが現状で はないだろうか。
 日本で働いている日系ブラジル人にこれと似たような現象がおきているのは皮肉としかいいようがない。勿論、彼らにも例外は僅かながら存在する。ブラジル の日本語学校で勉強し日本語能力検定試験一級、二級クラスの実力を持った人や好きで日本語を身につけた日系人である。興味深いのはこういう人たちは幼少時に、いわゆるおばあちゃん、おじいちゃん子だった人が多いのを付け加えたい。

 

(二、の条件)

 私の働いていた日本の工場の同僚に日系ブラジル人三世のY氏がいた。この会社の正社員係長としてわりと流暢な日本語を話し、職場に必要な読み書きもこな していた。彼の話によるとブラジルでは日本語など必要ないと考えていて、来日時には日本語はまったくといっていいほどわからなかったそうである。彼は20 年以上日本で暮らし永住権を取得し、ローンで自宅も建て子供達も日本の義務教育を受け日本語だけになっている。
本人は詳しいことは語らなかったが、多分、日本に永住を決意した時点から日本で生きていく為に必死に日本語を勉強したのではないだろうか。
 もう一つ例をあげよう。これは私自身の体験である。南伯雇用移民として渡伯後12年間農業に従事したあとサンパウロ市に引っ越してから清涼飲料の会社で しばらく働いた後、同船者の伝をたよってある大手食品メーカーに就職することができた。二ヵ月後、突然、会社の支店の一つである南大河州のポルト・アレグ レ支店の責任者に抜擢されて赴任した。一番苦労したのは言葉である。現場では勿論のこと本社での支店長会議でも下手なポル語でさんざん苦労をし、それこそ 生きて行く為に仕事の傍ら必死でポ語を勉強した。当時、六人いた支店長の中で日本人一世は私だけだったのである。もちろん、支店にはブラジル人だけ。その せいか何年か仕事をつづけていくうちに何とか仕事に必要なポ語は習得できた。必要にせまられての必死の勉強は身につくのである。

 

(三、の条件)

 私の長女は大学在学中から英語に異常な興味を示しほとんど独学で世界的な権威のある英国のマッケンジー英語検定試験一級の資格をとってしまった。その後、一年程、オーストラリアに実力を試しにいき、帰国して現在は英語学校の英語教師をやっている。

 さて、ここで標題に戻って、ブラジル日系コロニア日本語学校の衰退が嘆かれて久しい現状を考えてみた場合、上記の三つの条件のどれかにあてはまる生徒が はたしているだろうかというのがポイントになるのではと愚考する。ただ、日本語学校は楽しいからというのであればそれはそれで意味があると思われるが、本当に日本語を習得させたいと父兄が願うのであれば教育方針を根本的に再考せざるをえない時期だと感じられる。次回からは、この件に関して私の考えを述べて みたいと思います。

 

日本語教育雑感(その二)

 近年、日本でベストセラーになった本のなかに藤原正彦の平成17年初版発行「国家の品格」と同18年発行の「祖国とは国語」があります。著者は昭和18 年旧 満州生まれ、東京大学理学部数学科、同大学院修士課程修了、コロラド大学助教授等を経て、お茶の水女子大学理学部教授。数学の専門家で外国語も英語をはじ めとして数ケ国語に精通しているという方です。
 ご覧のように彼の著書は彼の履歴からすると畑違いという感じをうけます。
 ところがこの二冊の本には私達が忘れ去ろうとしている日本人としての根幹的な事が説得力を持って書かれているのです。ブラジルに住む日本人移住者にも是非一読をお勧めしたい書物です。 まず、「国家の品格」の内容をかいつまんで言うと・・

 

   一 日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」を持つ国柄である。

  二  「論理」と「合理性」頼みの「改革」では社会の荒廃を食い止める事はできない。

  三 日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神。

 四 グローバル化とは世界を均質にするもの。例えば、世界中の花をチューリップだけにしてはいけない。         
  五 欧米支配下の野卑な世界にあって「孤高の日本」でなければいけない。これが日本の果たしうる
   人類への世界史的貢献。
 
次いで「祖国とは日本語」では・・
古来、日本人は自然に対する繊細な感覚を持ち、世界に冠たる日本文学を生んできた。

 日本人の美的情緒-もののあわれ-人間の儚さや悠久の自然の営み(生者必滅)に美を発見してしまう感性。「懐かしさという情緒」「家族愛」、「郷土愛」、「祖国愛」、「人類愛」。「世界市民」なんて世界中に唯一人もいない。「武士道精神」・長年、日本の道徳の中核を成してきた。鎌倉時代以 降、多くの日本人の行動基準、道徳基準とし て機能してきた。慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠、等が盛り込まれている。惻隠とは他人の不幸への敏感さです。加えて「名誉」と「恥」の意識もある。 これらすべては、勿論、日本語があったればこそのもの。

 その国語をないがしろにして英語教育優先を叫ぶ日本の初等教育界の現状に著者は亡国の政策だと警告を発しています。国の底力は高い文化水準を保つ為の国 語力にかかっている。国語を失った民族が滅びるのは歴史が証明している。明治十年代、欧米視察にいった日本の侍はいく先々で尊敬された。英語は分からなく ても世界に誇れる独特の高い文化を持っていたからです。この底力のお陰で明治維新から僅か三十年余で当時世界の軍事大国の一つだったロシアとの日露戦争に 勝利できたのです。そして現代日本のゆとり教育を受けて日本伝統文化についてほとんどなにも知らない現代日本の英語ぺらぺらの若者は外国にいっても日本人 として尊敬されない。

 私がこの二冊の本を特にここで紹介したのは、ブラジルの日系人とは何だろう、子弟に日本語教育を伝えていくのにどういう意味があるのだろうと日本語学校の現場で常に感じていた事に大事な示唆を与えてくれたと思うからです。

 

 ただ、子供に母国語を伝えておきたい、残してやりたい、日本に出稼ぎにいった時に困らないように、等々、なんとなく漠然とした気持で子供を日本語学校に 通わせているというのが親の実情ではないでしょうか。一方、子供の側にしてみればブラジル語だけで何の不自由もないのに彼らにとって外国語である日本語を なぜ学ばされるのか、というのが正直な気持だろうと推察できます。なぜ日本語をブラジルで勉強させられるのかという明確な答えが彼らに与えられていないの です。

 失礼を承知で言えばこの傾向は日本語教育に携わっている関係諸氏にも同じ事が言えると思います。上記の著書で述べられている現代日本の英語ぺらぺらの若者と同じようなただ日本語ぺらぺらの日系人を育てようと躍起になっているように感じられてなりません。

 

 例えば、彼らがブラジルの社会人になって活躍するようになった時にブラジル人の友人や仕事仲間に日本の文化について聞かれた時に日本語はぺらぺらでもそ の 質問の内容に対して何も答えられない、知らないから答えられないのは当然です。するとどういうことが起こるでしょうか。質問したブラジル人はその日系人に 対して失望する筈です。顔は日系人でも母国の文化を何も知らない教養のない奴だと腹のなかで思うでしょう。

 ブラジルは多民族国家です。土着のブラジル人はインヂオだけです。多種多様の民族固有の文化をこの国で融合させているところにブラジルの魅力があるのだ と思います。世界中の花が美しくてもチューリップ一色になったら、実にこの世は無味乾燥の世界になってしまうのではないでしょうか。言葉は文化です。ただ 技術的にその言語を使用するだけでしたら機械と同じになってしまいます。多言語翻訳のコンピュータソフトの完成は目前です。

 しかし、例えば、日本語のもつ物のあわれや短歌や俳諧であらわす深い情景や感情は機械で表わす事は不可能です。これが言葉の持つ文化の一端だとおもいま す。難しい問題ですが、これらの事を念頭においてこれからのブラジルでの日本語教育を再考していけば新しい道が開けるように思えてなりません。
 
日本語教育雑感(その三)

 日本語教育の方法論として日本語教育関係諸氏の間で長いあいだ議論されていて、いまだにどちらが良いかという結論の出ていない二つの異なる指導法、つま り直接法か間接法という問題があります。どちらが良いかという問題よりもどちらが生徒に日本語理解力が早くつくかという事が根本だと思います。私は日本語 教師としての現場で、直接法、四年間、間接方を二年間試してみました。

 どちらも利点と欠点があります。直接法は生徒が最初のうちは語彙や授業の内容を理解しにくいという欠点、教師が日本語だけで教えるので日本語に耳慣れするという事と憶えた事を忘れ難いという利点。

 間接法は生徒が授業中は文及び語彙の意味が分かって理解できたと錯覚を起こす欠点(すぐ忘れる。日本の英語教育をみればこれが納得できる)授業中は生徒 にその内容がよくわかるという利点。
 私個人の結論としては、最初は苦労しても直接法で勉強した生徒の方が間接法で勉強した生徒よりも同じ勉強時間で比較した場合、格段に日本語の実力がつくという現実です。
 ただ、教師の側からみると間接法の場合、授業中の負担が軽い(どうしても一律に二言語対応のテキストを使用して添削中心になる)。直接法の場合は教師の授業中の負担が重いということです。詳しい理由は下記の授業法をお読みいただければ分かると思います。
 
では、私の考えている(実際に現場で試してみた)日本語授業法を列記してみます。

 

(一) 日本語初心者・・五十音のひらがな、カタカナの読み、書き、発音を自由自在にできるまで習熟させる。 濁音、消音の区別も教える。日本語の基本音声 だと言う事をはっきりさせるとともに、これはアルファベットとおなじに音声を表わす記号だという認識をもたせる。これが日本語の基礎なので各生徒がマス ターできるまでやる。
 
(二) 一をマスターした生徒には日本の国定国語教科書一年生を用いて朗読の練習にはいる。そこに出てくる単語、語彙の意味だけはポ語でおしえる。日本語 だけで身振りやパントマイムで教えるのには無理があります。日本語文法にはまだ関与させない。朗読できるようになったらそれを丸筆記させる。 (日本語の構 文を自然に覚える事ができると同時に日本語で文章を書くと言う事に習熟できる。)
 
(三) 学科が進むに従って一年生で習う漢字が順次出てくるが、漢字は音声文字と違い、表意文字だという事をよく認識させ(西洋語にはない) 自由に書ける ようになるまで練習させる。意味はポ語で説明する。 教師は語彙の説明のみにポ語を使用しあとは全部日本語で授業をすすめる。
 
(四) 毎回、簡単なテストをおこなう。ペーパーテストではなく、教師が簡単な問題をだして黒板に答えを書かせる。漢字も同じ。 そして月一回のペーパーテストと簡単な日本語会話テスト(教科書の内容に準じた)を行い各生徒の理解度を確認し、参考資料として保存する。
   
(五) 一年修了の生徒は国定教科書二年生に進ませる。授業内容は一年生とおなじ。こうして生徒本人の理解度と希望に応じて順次国定教科書六年生 まで修了する。

 

(六) 二年生からは上記の授業内容の他に、教師が教科書の内容に応じた簡単な短文作りの問題を生徒に提供して理解度をみる。この方法に よって日本語の作文能力の基礎ができる。
 
(七) 三年生からは上記の授業内容に加えて日本語文法の基礎をおしえる。特に構文における相違点をポ語構文と比較しながら教える事と、 いわゆる「は、が、 も、と、に、て、を、の、へ」等の助詞と格助詞の使い方を特に習熟させる。日本語会話のできる生徒でもこれを間違って使用している事が多い。漢字の熟語を 理解させることにも重点をおく。漢字熟語で漢字の音読みと訓読みの違いを理解させる。敬語と卑語の使い方はこの学年から教えはじめる。四年生からは、日本 語独特である女言葉の使い方も授業に加える。
 
(八) 生徒の日本語の理解力をみて本人が希望すれば毎年行われる日本語能力検定試験四級から受験させ合格した生徒は順次一級 まで受験させる。(この検定試験合格証は日本で就職する場合に役立つ)
 
  この方法だと一年生から六年生迄継続して(成績の良い生徒でも授業時間にもよるが、普通、六年間を要します)一人の教師が同じ生徒たちに授業できれば 理想的ですが実際問題としては、一人では生徒の人数にもよるし、また、各生徒の理解度にも個人差が生じてきますので全員には手が回りません。生徒数の多い 場合は、何人かの先生と授業内容を分担してということになります。一番大事なのは一、二年生です。

 以上、私の現場での体験にもとづいて考えたブラジルでの日本語授業方法を列記してみました。なおこの授業法は,、伯人にも適用できると確信いたします。 日本の国定国語教科書を教材使う理由は、日本語を日本とほぼ同じ水準で教えることができるし、同時に日本の文化にも触れてもらう事ができると考えるからで す。この教科書はサンパウロ市にある太陽堂書店その他で購入することができます。

 

日本語教育雑感(その四)

 日本人の伝統文化についての興味深い著書があります。「梅干と日本刀」著者は樋口清之、国学院大学史学研究科卒業、同大学名誉教授。登呂遺跡発掘で有名。目次を見ると、
   
    一章・・日本には古来、すごい「科学」があった。意識せずに合理的な生活をしてきた日本人。

    二章・・驚くべき「自然順応」の知恵。それは、日本人の鋭い観察力がもたらした。

   三章・・日本人は「独創性」に富んでいる。外来文化の「モノ真似上手」は皮相な見方。

   四章・・住みよい「人間関係」を作った日本人。日本こそ「女尊男卑」の国だった。

 

 現代日本人(特に戦後教育を受けた)が漠然と持っている常識観を覆すような内容です。

 一章の一部を紹介しましょう。
 三十三間堂を700年保たせた「波に浮かぶ筏」の構造とは?

 京都市東山区にある三十三間堂。後鳥羽上皇が、1265年に再建した。1001体の観音像を安置するお堂である。このお堂は東に面し、見事な直線で設計 され、その長さは128メートルもある。そしてこの直線は現在でもいささかも狂っていない。台風や地震などの多くの異変に、700年を超える歳月を耐えて きたのである。どのようにして、そのような高度な技術が可能だったのだろうか。ここに日本人独特の自然観がある。信玄堤でも述べた「自然に逆らわない」と いう考え方である。

 

 現代の建築技術は、まず地盤を固めてから建てる。ところが、三十三間堂はまったくちがう。わざわざ地盤を不安定にするのである。不安定というより「動く ように」と言った方がよいかもしれない。動かないように固めてしまうと、何百年という長い歳月の間には必ず陥没が起こる。そこで、三十三間堂は、地面を粘 土や砂利など弾力性のある土壌で固める。もし地震があった場合には、地面は直接に波動を伝える。だが、地震の波というのは、水と波と同じで土の粒子の上 下、左右の回転運動によって伝わるものである。従って地面に弾力性を持たせて置けば、地震エレルギーが放散されたあとは、土の粒子が元の静止した場所に帰 る。ということは、地盤が地震以前の状態に復元するということである。この地盤に、水に浮きを並べるように柱をのせる礎石を、それぞれ独立して固定し、柱 は地面近くでゆるく横木と連結され、エネルギーを分散させながら上部で固定させる。いうならば波に浮かぶ筏のようなものである。波が静まれば平面に静止す る。三十三間堂は、このような構造に作られているから、今日でも、あのまっすぐな回廊がそのまま残っているのである。驚くべき科学的精密さといってよいだ ろう。日本人の土木工法の原点が、水田耕作によって育てられたものであることは、二章で詳しく述べるが、日本人は水田の水面を見て暮らしたおかげで、水 平、垂直というものに対する観察が鋭く発達していた。

 

 これはほんの内容の一部ですが、興味のある方は機会があればこの本も是非お読み下さい。それこそ目から鱗が落ちるような感じを受けるでしょう。

 私達が長年「なぜ?」と思っていた日本の色々な伝統文化について詳しく分かりやすく説明してあるのがこの一冊の本です。

 この本の解説も素晴らしいので引用させて頂きます。


 <日本人の独創性を指摘した名著、上智大学教授 渡辺 昇一>

 日本人はサルマネをする国民だと言われてきた。欧米「先進国」がそう言って怒ったり軽蔑したりしたのはよく解る。白人が近世になってから世界中の有色人種の国々を植民地、あるいは植民地同様にした。世界は白人のものであり、その優越性は万代不易かとも思われていた。その理由は、と言えば、どの有色人種の 国も欧米文明を本気でマネしなかったし、またマネする能力も気力も乏しい民族が多かった。印度や清国のような古代からの高い文明を誇っている国々でも、欧米文明のマネをしそこねていた。

 ところが、白人の地球制覇の最後の局面になって開国した日本は、本気で欧米文明のマネしはじめ、たちまち追いつき出したのだ。どの有色人種も文明の利器を持った白人に征服されるのは当然と思っていた時に、「あんなものはマネできる」と頭から信じて疑わず、留学生を送り出したり、高給で外人教師を雇った日 本人は、他の何十何百の有色人種とは異質だったわけである。つまりユニークだったのだ。逆説的に言えば、「西洋文明なども、すぐマネできるさ」と確信して マネしたことこそ、日本人の比類なき独創性だったのだ。
 
 そして、白人が自分達しかできないと確信していた自然科学や近代軍事学をも、忽ちマネして、陸に海にロシア軍に連戦連勝したのが日露戦争である。その頃 から、日本に対する先進諸国の風当たりが強くなる。日本が白人文明をマネできることを日本のマネをし始めるであろうと実証した以上、他の有色人種もそのマネに成功した。そうすれば白人優位の世界が崩壊する。日本のマネが先進国に憎まれたのは当然である。第二次大戦後は、「日本のマネ」が世界の主潮になった 感じである。先進国に留学生を送り、先進国の技術を導入すれば、自分達の民族も追いつけるのではないか、と世界中の有色人種が考え始めたからである。そし て戦後に先進国のマネに最も成功したのが、マネの王者・日本の一部であったことのある韓国と台湾であったのは偶然でない。彼らは日本というマネの先生のや り方をよくマネしたのだ。

「学ぶとはまねることなり」というのは日本語の語源である。そのマネの先生の日本のマネたるや、まことにただならぬものがあった。このことは先進国のほう が早く気がついた。例えば1940年のアメリカのある大雑誌は、イギリスのマンチェスターの紡績工場では、一人の工員が4台から6台の機械しか使えないの に、日本の豊田自動織機は、一人の女子工員がその10倍の60台の機械を使うことができると報じているし、当時の日本で、すでに毎年2万件の特許が認められて工業界で実用化されていることも指摘している。

 鎖国体制の江戸時代には、発明が少なかった。それは自然科学の実験をキリシタン・バテレンの妖術とみなして弾圧したり、新発明は封建制度になじまないとして抑圧してきた人為的政策のためである。

 

 日本人は太古からこの住みよい列島で、緻密な観察と工夫で独特の文化を作り上げてきた。

 また、大陸から新しい品物や動植物が渡来すると、たちまち改良し、さらに工夫を加えて、オリジナル以上のものを作り上げてきた。このことを最も雄弁に、かつ、親しみやすい例をあげて説かれた名著が樋口清之先生の「梅干と日本刀」である。

 日本人の独創性はゼロから発想するよりは、外来のものから「触発」されて独自の改良を始めるところに特色があることを最初に指摘されたのも樋口先生であ る。アメリカに「触発」されたエレクトロニクス産業の現状を見るにつけても、樋口先生の日本人の特性に対する洞察の深さに改めて感服する次第である。

 国際化が進むにつれ、ますます「触発」される機会も多く、従ってますます日本人の独創が輝く時代になることを期待してよいであろう。と、書かれています。

 日本の気候風土が育んだこの日本語と日本人の特色を日系ブラジル人に日本語教育の現場で少しでも伝える努力をするところに、何故ブラジルで日本語を勉強するのか、という彼らの素朴な疑問に答えるポイントがあるように思えてなりません。

 そのことが結局はブラジル社会でこの国の発展に寄与できる人材を育てることにつながると確信いたします。 
 
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 この記事は 「のうそん242号」(日伯農村文化振興会発刊)より、同誌と筆者の許可を得て転載しました。  ( Trabras )  
 

 


 

 
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