同胞の絆

筆者: 眞砂 睦      

  「ララ物資」と聞いて終戦直後の混乱を思い出すのは、かなり年配の方々であろうか。ララ(LARA)とは、「アジア救済公認団体」の英語名の略で、終戦直後の日本を支援する目的で設立された米政府公認の民間救済組織のこと。ここが窓口となって膨大な食糧や衣類などの支援物資が日本に送られた。日本では連合軍総司令部(GHQ)管理のもとに、「米国の支援物資」として厚生省から全国の市町村に配給され、餓死寸前の多くの子供たちが救われた。
 実はこの「米国の支援物資」には、南北両アメリカの日系人が深くかかわっていた。終戦とほぼ同時に、早くも昭和21年米国在の日本人移住者が「被災した祖国の同胞を救おう」と立ちあがり、全米各地に「日本難民救済会」が組織された。カナダの日系人も後に続いた。しかし、敵国民であった日本人は表にでられない。そこで米国の知日派宗教家が動いて、米政府に「ララ救済公認団体」として特定の宗教団体や奉仕団体に募金や支援物資の募集活動が行えるよう認めさせ、支援活動が動き出したのだ。ブラジルでも全伯の日系人が手を結んで昭和22年、「日本戦災同胞救済会」が組織され、募金活動に入った。当時まだ国交未回復の日本に直接送金する方法がなかった為、伯国赤十字社を通して米国の「ララ救済公認団体」に送金し、粉ミルクや缶詰などを購入してもらって、「ララ」を通して日本に送られた。すぐにアルゼンチンとペルーの日系人も活動に加わった。こうして、南北両アメリカの日系人がいっせいに日本支援に動き出したのである。
 「ララ」の記録では、昭和21年11月から27年6月までの5年半ほどの間に、458隻の輸送船が救援物資を送り出したとある。月に7隻を超す輸送船団である。子供たちの栄養補給のために、生きた山羊や乳牛まで船積みされている。今の価値に直すと支援の総額は400億円にのぼり、うち少なくとも20%は日系人からの支援とされる。日系人の多くは資産を没収されたり、北米では終戦まで収容所に閉じ込められて、当時彼ら自身が悲惨な状況に置かれていた。そんな中で日本救済に立ちあがったのだ。
今般の東日本の震災に対して海外の日系社会から受けた支援と、あの困難な時代に差しのべられた同胞の暖かい手とが、半世紀の時を超えて重なってくるのである。
 

 
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